遅れてきた春一番 ②
須坂駅ゆきのバスはあと40分近くない。さいわい今日はおだやかな春の日差しが信州にも降り注ぎ、周囲の残雪とはうってかわった雰囲気を出している。
「歩くか」
智弘は歩き出した。ここで待っていても時間の無駄である。1つか2つ先のバス停まで歩けばそれだけ待つ時間が短くて済む。
さいわい大学に向かうのとは違って下り坂であるから足もそんなに疲れない。
歩いているとまだ冷たさを若干伴うものの、確実に近づいている春の気配に触れることができた。3月中旬ともなれば東京では桜が開花したりするがここ信州ではまだそんな気配はない。
だが風は温かみを帯びてきている。
次のバス停である本郷までだいたい10分程度かかったが、それでも息が切れたりすることはなかった。
本郷のバス停は万座道路との合流点のそばにあった。
「あれ?」
智弘は思わず声を上げた。というのも万座道路側のほうにもバス停があったからだ。高山村役場ゆきは2種類あって大学を経由しない便も何便かあったのだ。
慌ててバス停に駆け寄る。
時刻表を見ると次のバスまであと3分くらいである。
「歩いてよかったなあ」
智弘はホッと胸をなでおろして言った。そんなことを言ってる間に須坂駅ゆきのバスがやってきた。
車内もそんなに混んではなく、席に座ることができた。
「助かった」
バスは渋滞もなく順調に走り、終点の須坂駅前に着いた。
須坂駅は長野線と屋代線が接続する駅だ。彼のアパートがある若穂駅に向かうのは屋代線である。
時刻表を見ると次の屋代ゆきは12時49分発である。
「20分待つのか」
さいわいここは始発駅であるから実際の待ち時間は10分程度である。
若穂駅までの切符を買い、改札を抜けたところで、ふいに誰かが自分の名前を呼んでいる声が聞こえた。
「おかしいな」
須坂には知り合いはいない。人違いだろうと歩き出したとき、
「コラッ、人が呼んでいるときは返事をしなさい」
すぐそばで若い女性が大きな声で智弘に言った。
遅れてきた春一番 ①
ここ中部地方の地方都市でもそれは例外なく訪れる。
「ダメかあ」
信州中央大学の入口に貼られた合格者一覧を見て、内田智弘はがっくりとなった。
彼の手にしている受験番号は『493』番である。掲示板には『492』と『494』がある。ジャンボ宝くじなら前後賞獲得おめとなるのだが、受験ではそうはいかない。
しかも2浪決定である。ここが彼にとって最後の砦だったのだ。
「あーあ、両親になんていえばいいんだよ」
彼の出身地は岐阜県の山間部で、両親は農業に勤しんでいる。だから実家はそれなりに裕福だ。
彼は身長160センチくらいしかないのに体重は80キロを超えている。いわゆる典型的なオタク体型である。去年の暮れには東京に行き、秋葉原やコミケ、メイド喫茶も満喫した。
「やっぱり予備校通わないとダメかな」
智弘はそういうと大きなため息をついた。
まあ、本来勉学に勤しまなければならない時期に遊びほうけていたのだから、この結果は当然といえば当然だろう。
「さて帰るとするか」
智弘はゆっくりとした足取りでキャンパスを出た。そのままバス停まで歩く。
アパートに戻るにはバスで須坂駅前まで出て、そこから私鉄に乗り換える。運がよければ30分あまり帰れるはずだ。
だが、バス停に向って歩き始めたとき、後ろから須坂駅行きのバスがやってきた。そのまま彼を追い越し、300メートル先のバス停に向う。
「なんてこったい」
ようやくバス停が見えたとき、さっきのバスはエンジン音高らかにバス停を去っていった。
やっとバス停にたどり着いた。
時刻表をみると今のバスが11時53分の便だったらしく、次は12時32分までない。信州中央大学は2年前にオープンしたばかりの新設大学でまわりに人家はほとんどなく、造成地が広がっているだけなのだ。その3分前に始発のバスが出たばかりで、高山村役場からの便を待つほかない。
ほどなく反対側車線を高山村行きのバスが轟音と共に走り去っていった。このバスが高山村まで行って折り返して来るのが次のバスである。
合格発表が行われるので午前中は増便されていたが、その増便も11時台でおしまいだった。
「くそ、寝坊するんじゃなかったな」
智弘はそういって自分自身に悪態をついた。